この世で最も最高の職業は何かと考えたとき
この世で最も最高の職業は「人の霊を救える職業」だと思った。
この世では色々な様々な職業があり、それぞれ機能しあいながらごくごく一部分を担当している
例えばビジネスコンサルタントであれば知識経験のあるビジネスの範囲を網羅して助けることができ
経済的なお金という面で相手に有益を与えることができる
心理カウンセラーであれば、心の問題を分析して心を癒し、解決していくために奮闘し、相手を助ける。
漁師であれば魚をつり、人々に食べ物を提供する。
どれも必要な職業であれば肉的世界と霊的世界に分けたときに
職業というのは肉的な機能しか持っておらず。
死んだあとの世界に一切言及がされない。
それは皆わからない世界であり、見えない世界であり、
知る人にしか知ることができない世界だからでもあろう。
全員が信じているわけでもなく、全員が信じていないわけでもない。
だが、人に霊があるとしたならば「人の霊を救える職業」というのは何と価値の高い職業だろう
死んだ後に永遠に生きる霊の育て方がわかるというのだ。
それを教えられる人は最高に尊いのではないだろうか
なぜかというと永遠から見たときに、この世というのは数時間、数十分のような世界に見ることができるからだ。
この世を生きるのは一瞬のときを過ごすだけのひと時寄り道していくだけの道のようなものだ。
霊の救いというのはおなかを満たすことはできないかもしれないけれども
世の中のどこいにっても解決できない問題を解決していると言える。
それは「何か奥底で何をしても満たされない思い、つまり飢餓感」だ。
やってもやっても満たされない、安心して眠れない、毎日が辛い、苦しい、幸せに感じない
これら全ての問題は心からきており、もっと言えば霊的世界の霊から来ているという事実を知った時
心、肉体、それ以外に解決しなければならない問題があり、学ばなければならないことがあるのだということを知る。
ペテロが網を投げた理由というのは、以下を読めばわかる。
5:1さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
5:2そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師たちは、舟からおりて網を洗っていた。
5:3その一そうはシモンの舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。
5:4話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」と言われた。
5:5シモンは答えて言った、「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」。
5:6そしてそのとおりにしたところ、おびただしい魚の群れがはいって、網が破れそうになった。
5:7そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、加勢に来るよう合図をしたので、彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。そのために、舟が沈みそうになった。
5:8これを見てシモン・ペテロは、イエスのひざもとにひれ伏して言った、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者です」。
5:9彼も一緒にいた者たちもみな、取れた魚がおびただしいのに驚いたからである。
5:10シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」。
5:11そこで彼らは舟を陸に引き上げ、いっさいを捨ててイエスに従った。
漁師のプロであるペテロがその日はどうしてもうまく魚が釣れなかった
ただ、イエス様はそのペテロに対して、網をそこに下ろしてみなさいといった。
ペテロは従順だったのでそのままおろすと、たくさん魚が釣れたと書いてある。
そこでペテロは自分があまりにも大きい人を目の前にしていることに気づき、ひれ伏した。
ペテロは魚を釣るプロであり、魚を釣るプロであるペテロが、魚を釣る素人のイエス様に負けたのだ。
これはペテロを伝道するための神様の御心による導きではあるのだが
これはペテロや人々に対する象徴であり、肉では解決できない霊的なことがあるということを教えたかったのだと思う。
霊的な救いは肉的な救いでは解決できないということだ。
神様は肉の知識よりも何兆倍も聡明だということでもあり
霊が救われるためにはそれぐらいの次元を上げる必要があるということだ。