霊的観点から見た生きる目的の考察

・今日の講義

生きる目的とは何か?

聖書を見ていると私たちの生きる目的は、神に近づいていくことではないかと思う。

自分が余計な考えや解釈のない、幼子のようなものが天国に入るといったように清くて美しい自分の姿

本来の自分の姿に生まれ変わるというか本来の自分に戻っていく過程こそが自分を生ききるということであり

神様が私を造った創造の目的を果たすことなのではないかと思う。

大人は汚れているもので、大人になればなるほど余計な無駄なものが入ってきて、無駄なことをしなければならなくなる場面が多い、誰かから影響を受けたりすることも多くなる。

誰かのために生きなければならない場面も出てくる。強制という言葉や法律で縛り、あたかもそれが正しいことかのように縛られる。

そうしていかなければ自由に生きれない状態になってしまうこともあるだろうけれども事実実際はそれに従う必要はないわけで、それに従い続ければ自分がダメになる場合だってあるのではないかと思う。

もちろん法律は守られなければこの世では裁かれるのできちんとするべきではあるが、根本の原理としては違うものは違う、真理が正しいということは理解しておかなければならない。

ただ従うのと、違うけれども従うのでは考え方と行動が変わってくる。

代わりにやってくれる人間が現れればかわりに任せたらよい。

聖書でこの世の王は誰から貢ぎ、税金をとるのか、王の子からではなくその他の人々だ、それをイエス様は知っていたけれども

イエス様はこの世の法律をお守りになられ、ペテロにこの世の中に真理の釣り針をたれて人を救い、人の口から発せられる感謝という名の銀貨を受け取りなさいとおっしゃった。

真理により人を救い、人からのありがとうを受け取って私たちのために税金を納めなさいとおっしゃった。

自分たちの銀貨は何も持つな、その入った村で宿に入り、そこの人達からもてなしを受けなさい。

人のために働くならばその対価は受けられるはずだ。一番素晴らしい人のところに入って、あなたがたを虐げるようなところには入らなければ良いとおっしゃった。

そういう生き方だって2000年前できたのだから今でもできるであろう。

お金は人とコミュニケーションをとりたくないときに使うツールであるということ。

お金があれば人とコミュニケーションをとらなくても人を喜ばすことができるからと思っているわけである。

だからお金がほしいとなるが実際問題それは根本的解決にはならない。

根本的解決とは人に自分という資本の価値を自然と提供できる人間になった状態を継続していくことである。

真理を提供し続けるならば中には感動してその口から銀貨をくれるといってくれる人だって出てくるだろうから

自分は真理を学んでそれを悟って研究して共有発信提供し続ける活動をただひたすらに続ければいいのだ。

自分の頭の中を共有し人を感動させるレベルの真理、コンテンツを提供することができれば本当に最高の仕事であると思う。

もちろんあなたにはあなたに相応しいすばらしい神の御心の仕事がある。

それはあなたの心が突き動かされることだ。

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